豊前 平田城 (白米城)

昨年、中津市教育委員会の発掘調査で黒田時代の石垣が発見された豊前平田城。
ずっと見たいと思っていましたが、ようやく訪れることが出来ました。
現地にあった図。
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浅い谷で区切られ、南郭が山国川沿いを見張る前線基地で、後方に当たる北郭が生活の場だったのでしょうか。
地形を巧みに利用しています。
北郭には虎口?と書かれた箇所もあります。
とても興味が惹かれましたが、草が生い茂っていてどういう形状なのかわからずじまいでした。
入ることが出来るのであれば、草が枯れた季節に再訪したいものです。
宇都宮一族の野仲重房が築いたとされる豊前平田城ですが、現地では黒田氏ゆかりの城として案内されていました。
(NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で家臣の栗山利安が脚光を浴びましたので、知名度からこちらの方が理解されやすいのでしょうね。)
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車で上まで行けますが、道が細いので麓の駐車スペースに駐めて徒歩でテクテク。
登城道にこういう幟が立っていて、”お城に来ている”気分にさせてくれます。
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(字がわかるように実際の風景を反転させています。)
登り道の途中に「黒田時代の石垣」と書かれた案内板がありました。
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残念ながら笹藪に覆われていて、「高さ最大4メートルの大規模な石垣」を見ることは出来ませんでした。
が、笹藪部分が全部石垣だとしたらなかなかのものではないでしょうか。
やはり石垣を見るには、冬に訪れるのがよいようです。
上部は公園になっていますが、そちらにも「黒田時代の石垣」と書かれた案内板がありました。
どうやら黒田氏に改修された豊前平田城は、立派な石垣のお城だったようです。
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南郭からは山国川と対岸の景色がよく見えます。
岩肌が露出している部分は、江戸時代に一夜で崩落したのだとか。
耶馬溪ならではの光景ですね。
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こぢんまりとしていますが、山国川を挟んだ狭隘な場所を選んで築かれており、地理的な急所を押さえています。
筑前転封後は栗山氏は左右良城に移りますが、そこも筑後川の流れを睨んだ地。
そう言う場所を得意としたのか、栗山利安と利章についても興味が尽きません。
関連記事はこちら

→ 耶馬渓の「平田城」 中津城と共通点 – 47NEWS(よんななニュース)
http://www.47news.jp/CI/201408/CI-20140829-00048.html
→ 耶馬渓の「平田城」 中津城と共通点 – 大分合同新聞プレミアムオンライン
https://www.oita-press.co.jp:443/1010000000/2014/08/29/210255412
→ 中津城と同構造の石垣 耶馬渓・平田城跡で確認 : 文化 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/culture/history/20140830-OYS1T50023.html

 

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